バウハウスを作った巨匠、ヴァルター・グロピウスの紹介です。
近代建築四人目の巨匠と言われ、ミース・ファン・デル・ローエと同じく、インターナショナルスタイルを提唱しています。
ヴァルター・アードルフ・ゲオルク・グローピウス(Walter Adolph Georg Gropius, 1883年5月18日 - 1969年7月5日)は、モダニズムを代表するドイツの建築家。
近代建築の四大巨匠(ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に)の一人とされる。世界的に知られた教育機関(学校)である「バウハウス」の創立者であり、1919年から1928年まで初代校長を務めた。
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ヴァルター・グロピウスとバウハウス
ドイツに建築された造形芸術学校「バウハウス」
元々は建築家などを養成する学校でしたが、工芸・デザイン・建築を総合した教育を行うようになり、その時代や色々な分野に影響を与えています。
バウハウス(ドイツ語: Bauhaus, バオハオスとも)は、1919年、ドイツ国・ヴァイマルに設立された、工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校。また、その流れを汲む合理主義的・機能主義的な芸術を指すこともある。学校として存在し得たのは、ナチスにより1933年に閉校されるまでのわずか14年間であるが、その活動は現代美術に大きな影響を与えた(モダニズム建築、20世紀美術の項を参照)。
バウハウスはドイツ語で「建築の家」を意味する。中世の建築職人組合であるバウヒュッテ (Bauhütte, 建築の小屋) という語をヴァルター・グロピウスが現代風に表現したものである。
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ヴァルター・グロウピスが残した建築
バウハウス
バウハウスの初めは、旧工芸校舎を使用し1919年にヴァイマルで設立されています。
1925年にデッサウに移転するのですが、その時の設計をグロウピスが設計しました。
その時代の最新技術など使われており、多くの建築家や芸術家に影響を与えています。
「バウハウス関連遺跡群」として 世界遺産に登録されています。
グロピウス・ハウス
グロピウスハウスは、ある歴史家の博物館が所有する歴史的なニューイングランドで68ベイカーブリッジロードに位置リンカーン、マサチューセッツ、米国。[4]それは、モダニズム建築家のヴァルター・グロピウス、彼の妻の伊勢グロピウス(旧姓フランク)、そして彼らの娘のアティ・グロピウスの家族の住居でした。
この家は、2000年にヴァルター・グロピウスとの関係で国定歴史建造物に指定されました。彼は影響力のある教師であり、モダニズム建築の指導者でした。
野原、森、農家に囲まれたグロピウスハウスは、ニューイングランド建築の伝統的な材料(木材、レンガ、フィールドストーン)と、ガラスブロック、音響石膏、溶接鋼、クロム 手すりなどの工業材料を組み合わせています。
構造は、伝統的なニューイングランドの支柱と、白い塗装のさねはぎ継ぎの垂直サイディングで覆われた梁の木製フレームで構成されています。
インテリアホワイエには伝統的な下見板張りが使用されています、ただし、高さの錯覚を作成するために垂直に適用されます。
下見板張りはギャラリーとしての実用的な機能も果たしました。グロピウスハウスに展示されている作品は頻繁に変更されるため、木は釘を打ち、パッチを当て、塗り直し、最初からやり直すのに簡単な表面として機能しました。
家には、リビングとダイニングを組み合わせた部屋、キッチン、オフィス、裁縫室、3つのベッドルーム、4つのバスルームがあります。
すべてのバスルームは家のあまり目立たない北西の角に配置され、最大の効率のために同じ配管スタックを使用しました。[4]グロピウスハウスと隣接する家の最も顕著な違いの1つは、その平らな屋根です。
ヨーロッパの大部分や米国の特定の地域でさえ、陸屋根が非常に一般的になりつつありましたが、リンカーンとその周辺地域では、切妻のある傾斜屋根が一般的でした。
グロピウスは、水が敷地内の乾燥した井戸に流れ出る可能性がある中央にわずかに傾斜した平らな屋根を作りました。
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グロピウスが家族の為にマサチューセッツ州に設計した家です。
モダン建築の要素が盛り込まれ、水平連続窓や白いファザードなど、近代建築の原則に準えた要素も感じられます。
当時では珍しい食洗器やディスポーザーなども採用され、エントランスからの螺旋階段やコートクロークなども、後の住宅設計に影響を与えています。
周囲の景観とも調和するよう配慮され、2階のオープンテラスからは果樹園などの景色を眺めることができます
ファグス工場
ファグス工場(ドイツ語: Fagus-Werk, ファグスこうじょう)ないしファグス靴型工場(ファグスくつがたこうじょう)は、ドイツのニーダーザクセン州アルフェルトにある製靴用の靴型工場で、初期モダニズム建築の重要な例証として2011年にUNESCOの世界遺産リストに登録された。
この工場はオーナーのカール・ベンシャイト (Karl Benscheidt) が、自らの企業が過去から断絶することを表現するためにラディカルな建築物を望んで発注したもので、ヴァルター・グロピウスとアドルフ・マイヤーによって設計された。
この工場は1911年から1913年にかけて建てられ、増築や内装は1925年に最終的な完成をみた。
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世界遺産にも登録されているグロピウス設計の工場です。
当時は、建築資材などが限られており薄暗い工場が多かった中、グロピウスは「鉄骨」と「ガラスパネル」を使って、光に恵まれた空間を作り出しています。
メットライフビル(パンナムビル)
パンナムビル(メットライフビル)は、パンアメリカン航空(パンナム)の本社ビルとして1963年3月7日にオープンした。
その当時としては、世界一高い商業オフィスビルであった[1]。マンハッタンのスカイラインの重要な一角であり、アメリカ50大ビルの一つである。設計はバウハウスの校長であり、モダニズム建築の巨匠とされるヴァルター・グロピウスとピエトロ・ベルスキらの共同設計である。
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現在はメットライフビルとしてニューヨークの摩天楼には欠かせない建築物になっています。
パークアヴェニュー沿いの見通しを閉ざしたので批判されていますが、時間が経過すると共にNYを象徴とする建物として名を馳せることになっていきます。
特徴的なハ角形の平面で構成され、ミースがデザインしたシーグラムビルとは対照的に語られることもしばしば。
その存在感から色々な映画にも使われたりしています。
ジードルング
ジードルング(Siedlung)とは、ドイツ語で集落のこと。また、ヴァイマル共和国時代にドイツで建設された集合住宅を指す言葉としても有名。
19世紀後半から人口密度の集中、スラムの発生など都市問題が深刻となり、イギリスの田園都市構想にも刺激を受け、1920年代にドイツ各地で集合住宅が建設された。これらの計画にはバウハウスなどのモダニズムの建築家たちが多く参加し、建築史上は近代建築運動の実践としても評価される。
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シードルングは集合住宅の意味を表し、ル・コルビュジェやミース・ファン・デル・ローエなどが参加したヴァイセンホーフ・シードルングにグロピウスも参加しています。
ヴァルター・グロピウスと建築。バウハウスを作った巨匠の生涯
今回は、ヴァルター・グロピウスについて紹介しました。
バウハウスや近代建築を語る上で、欠かせない存在のグロピウス。
建築家ながら、教育者・哲学者としての影響も大きく、日本にも戦後まもない頃に来日しています。
いくつかの本にみ記載されているので手に取ってみてはどうでしょうか。