飛鳥時代や奈良時代に続いて、「平安時代」の建築の特徴や様式について紹介します。
平安時代は、平安京に都を移ってから約400年続いた時代を表します。
奈良時代の寺院建築の流れから、貴族としての様式が盛んになり1つの文化を形成されています。
代表的な建築物などを主に、特徴や様式を紹介します。
平安時代の代表的な建築物 平等院鳳凰堂・中尊寺金色堂・醍醐
平等院鳳凰堂
平等院鳳凰堂 出典:Wikipedia
10円玉に書かれている「平等院鳳凰堂」も平安時代に建てられた建築の内の1つです。
1994年に登録された「古都京都の文化財」の1つとして世界遺産に登録されています。
鳳凰堂は、中堂・北翼廊・南翼廊・尾廊の4つの建築物から構成されています。
中堂は2階建てに見えますが、建築構造としては一重裳階付(いちじゅうもこしつき)と言われる形になります。
裳階(もこし)とは、仏堂や天守などで、軒下の壁面状に付いた庇の形状に近い構造物を表し、身舎(寝殿造りで、主要な柱に囲まれた部分。) の構造は入母屋造の本瓦葺き。
組物(柱の上部の軒を支える部分)は三手先(みてさき)、中備(なかぞなえ)(桁を受ける材)は間斗束(けんとづか)、軒は二軒繁垂木(ふたのきしげだるき)とされ、棟上に一対の銅製鳳凰が飾られています。
中尊寺金色堂
中尊寺金色堂覆堂 出典:wikipedia
中尊寺金色堂は、平安時代後期に岩手県の平泉町に建てられた仏堂になります。
平安時代の建築技術が使われており、国宝としても登録されています。
平面構造は、奥行き・間口(幅)共に3間(約5.5m)で、正方形に近い形状になっています。
屋根の形は、方形屋根(三角錐の形)で、平面構造と合わせると、どの角度から見ても、同じ外形なのも1つの特徴です。
装飾にも当時の技術が施されており、壁や扉など、至る所に金箔が使われています。
醍醐寺
醍醐寺の金堂(国宝) 出典:Wikipedia
京都の伏見にある「醍醐寺」も、平等院鳳凰堂と同じく、「古都京都の文化財」に登録された、世界遺産の1つになります。
応仁の乱などで、五重塔以外は焼失してしまいましたが、豊臣秀吉の花見をきっかけに、伽藍の復興が始まったとされています。
醍醐寺の境内は200万坪以上の広さがあると言われ、上醍醐・下醍醐・三宝院のエリアに分かれており、上醍醐と下醍醐の往き来だけでも1時間は掛かると言われています。
上醍醐には、薬師堂、清瀧権現拝殿(醍醐寺の鎮守社)、准胝堂(現存せず)、五大堂が並び、下醍醐には金堂(薬師如来像を安置する)、三宝院、清瀧宮本殿、五重塔、祖師堂、観音堂などが建ち並んでいます。
平安時代の建築の特徴
平安時代の建築の特徴としては、「寝殿造り」が挙げられます。
「寝殿造り」は、当時の上流階級の貴族達が住んでいた屋敷などが多く、周りの環境とのバランスを重きに、上品にまとめられた様式になります。
内部も柱のみで、壁はほとんどない平面構造。
主人が居住を中心とする建物(寝殿)を真ん中に配置し、南側に池、東西に「渡殿」と言われる廊下で結んだ平面になっています。
他国の宮殿建築をベースとしながら、自国の文化を取り入れ、完成された建築様式とも言われています。
代表的な建築物にも、いくつかその要素は反映されています。
寝殿造りは、室町時代から桃山時代にかけて、上流階級の建築様式から、現在の和風住宅に近い書院造りへと変化していきます。
平安時代の建築の特徴や様式。平等院鳳凰堂・中尊寺金色堂・醍醐寺など まとめ
今回は平安時代の建築について紹介しました。
約400年続いた歴史の中で、文化や建築様式も変化し続けていきます。
「古都京都の文化財」として一部は残されているので、できる限り残っていってほしいものです。
また次回は、違う時代の建築様式や特徴を紹介したいと思います。