今回は私が好きな建築家を紹介します。
「フランク・ロイド・ライト」アメリカで活躍した建築家、「帝国ホテル」など日本にも作品を残しています。
フランク・ロイド・ライトとルイス・サリヴァン
ライトの幼年時代は、牧師である父親の影響で色々な場所を移りながら過ごしました。
生まれる前からライトを建築家に育て上げたいと、ライトの母親は幼い頃から知育遊具を与えたとも記録されています。
両親は離婚してしまいますが、ウィスコンシン大学マディソン校に通いながら働き始めした。
しかし、大学は中退してしまいますが、その後移り住んだ地で、ライトの生涯の師となるルイス・サリヴァンと出会い、アドラーサリヴァン事務所で働くことになります。
出会うべきして出会った二人なのでないでしょうか。
フランク・ロイド・ライトが作り出したプレーリースタイル
ライトは独立後、住宅などの設計を多く手掛けました。
「プレーリースタイル(草原様式)」という、建築という形から解放し、外部空間をつなげる表現として、屋根を低く抑え、建物が水平に広がる設計手法を自ら考案しました。
アメリカの広い草原に立つ家のイメージとしてプレーリースタイルとしての名が定着しています。
日本家屋などの間口の広さや軒の深さ、自然環境との調和など、建築が美しく見える条件として、共通するところがあるのだと思います。
フランク・ロイド・ライトが残した建築
ロビー邸
1910年建築。プレーリーハウス住宅の中でも最も有名なロビー邸です。
アメリカのシカゴの隣町オークパークに建築されましたが、何度か取り壊しの危機にあっています。
赤いレンガが水平に伸び 、周りの環境と繋がったその存在感は圧倒的です。
カウフマン邸(落水荘)
1935年にペンシルバニア州ピッツバーグに建築
週末住宅として建てられたカウフマン邸は、まるで滝の上に建てられたように錯覚させます。
物理学者のアインシュタインも訪れ、感激し水辺に入れるゲートから飛び込んだ話は有名です。
ライトが帝国ホテルの設計で日本に訪れていた時に、浮き世絵を集めており、
この「落水荘」も葛飾北斎の「諸国瀧廻り」をオーナーに見せ、建築に至ったと言われています。
「落水荘」の本になります。
ジョンソン・ワックス本社ビル
1950年に完成したウィスコンシン州にあるジョンソン・ワックスビル
独特の形をした柱に、ガラスチューブのトップライト、流線形の連続である内部空間は、多くの人々を魅了しています。
ジェイコブス邸
ライトがプレーリーハウス設計とは別に、1930年頃から取り組んでいたユーソニアンハウス
その一作目となるジェイコブス邸です。
グッゲンハイム美術館
現在の美術館は1943年にフランク・ロイド・ライトに建築設計が委託され、ライトは翌年には建築設計案を作成したが、工事に取り掛かるまでには紆余曲折があり、創立者のグッゲンハイムは没年の1949年になってようやくライトの設計案を承認した。それから建物の竣工までにはさらに10年間の歳月を要した。完工したのは1959年、ライトの死後半年後のことであった。(ここまで時間がかかった原因の一つに、この前例のない特徴的な建築物に対し、ニューヨーク市当局が建築基準法に触れる為に許可を出すのを渋った事情からともいわれている。)
「かたつむりの殻」とよく形容される螺旋状の構造をもったこの建築物は、中央部が巨大な吹き抜けになっている。見学者は、まずエレベーターで建物の最上部に上がり、螺旋状の通路の壁面に掛けられた作品を見ながら順路を進むうちに自然に階下へ降りるようになっている。美術館施設の概念を根本から覆した作品として、ライトの代表作に数えられている一方で、建築自体の自己主張が大きすぎ、床が傾斜しているため鑑賞者が落ち着かず、美術品の鑑賞をさまたげるという批判もある。
出典:wikipedia
ライトが完成を見れずに残してしまった遺作になります。
独特で一度みたら忘れられない螺旋階段、個性的なアート。
未来的なデザインを感じさせるため、映画「メン・イン・ブラック」でも使われています。
フランク・ロイド・ライトの日本での活躍
帝国ホテル
鉄筋コンクリートおよび煉瓦コンクリート造、地上3階(中央棟5階)、地下1階、客室数270。
正面からシンメトリーデザイン(左右対称)でゲストを迎え、1968年の解体まで多くの人を魅了しました。
10のブロックをエキスパンションジョイントで繋ぎ合わせた構造になっており、建物全体に柔軟性を持たせ、一部に倒壊があっても全体には影響が出ない仕組みになっています。
大規模ホテルとしては、世界で初めて全館にスチーム暖房を採用され、耐震防火に配慮した設計にもなっています。
予算や設計内容などで経営陣と何度かすれ違い、ライトは途中で解任されながらも、後任の遠藤新が引き継ぎ完成に至っています。
現在は愛知県の明治村に玄関部分だけ移築されて残っています。
自由学園
羽仁夫妻の依頼で建築された自由学園明日館
帝国ホテルの設計を引き継いだ、弟子の遠藤新の紹介でライトへ依頼がきました。
ライトが得意とするプレーリースタイル(屋根を低く水平に)と大谷石を組み合わせ、窓やドアにも幾何学的なデザインが使われており、ライト作品の主張となる部分が幾度来なく取り入れられています。
ヨドコウ迎賓館
ライトが日本で設計した住宅建築としてほぼ完全な形で現存する唯一の作品で、その価値の高さから1974年、大正時代以降の建造物として初めて、かつ鉄筋コンクリート建造物としても初めて国の重要文化財に指定された。 1989年から淀川製鋼所迎賓館(ヨドコウ迎賓館)として一般公開されている。
ライトは敷地に対する建物配置が絶妙であるが、この旧山邑家住宅でも、それが実感できる。芦屋川が海に向かってまっすぐに行く寸前の折れたところの急峻な丘に階段状に建っているため、建築物が密集した現在でも芦屋川を通じて大阪湾が一望できる。建物全体を眺めながらエントランスに導かれるアプローチ、迷路状の流れるようなプラン、室内外の空間の細かい出入りなどライトのよく使った建築手法が存分に反映されている。
出典:wikipedia
1924年に完成したヨドコウ迎賓館。
改修工事を繰り返しながら現存しています。
2年の改修工事を経て一般公開された時の様子はこちら⇩
大正時代に建てられた建築とは思えないほど、内外ともに洗練されたデザインでまとめられていました。
周りの環境とも違和感なく調和し、見どころの一つと言えるバルコニーから見える神戸の景観は絶景です。
近代建築の巨匠 フランク・ロイド・ライト。プレーリースタイルを確立し、帝国ホテルや落水荘を作った建築家 まとめ
有機的建築を追求したフランク・ロイド・ライト。
建築の在り方として、周辺環境との調和や素材とのバランス、モダニズムなどを追い求め、その功績は建築だけでなくインテリアの分野にも多く影響を与えています。
また改めて、ライトが残したインテリアの世界も紹介したいと思います。
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