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飛鳥時代の建築の特徴や代表的建築。法興寺・四天王寺・法隆寺など

日本の建築史について紹介したいと思います。

飛鳥時代と言えば、聖徳太子や遣隋使など、教科書に出てくる内容がまず思い出しますが、建築の方では「法隆寺」や「四天王寺」などが有名です。

寺院建築」の印象が強く、前回紹介した神社建築とは、また違った雰囲気が歴史を物語ります。

資格試験でもよく出題される範囲なので、建築士やインテリアコーディネーター等の試験にも役立つと思います。

飛鳥時代の代表的な建築 法興寺・四天王寺・法隆寺

飛鳥時代は西暦592年から710年までの時代区分の1つで、その時代に建てられた有名な建築といえば、やはり「法隆寺」や「四天王寺」が挙げられます。

特に法隆寺などは、一度、焼失してしまいましたが、無事に再建され、日本最古の木造建築として現存しています。

文化として幾つもの時代を経て、残された建築にはいくつもの物語が込められています。

法興寺

飛鳥時代の代表的な建築 法興寺 飛鳥寺 本堂

出典:wikipedia

仏教の伝来とともに、蘇我馬子が奈良県の飛鳥に作ったのが法興寺(飛鳥寺)になります。

当時は寺院建築のノウハウもなく、百済から大工を呼んで建築されたとも言われています。

配置や平面構造も左右対称で、バランスよく作られています。

南大門・中門・塔・中金堂・講堂が一直線に並び、左右に西金堂と東金堂が並んでいます。

回廊で囲むようにまとまり、飛鳥寺式の伽藍配置と言われています。

四天王寺

四天王寺の中心伽藍

出典:wikipedia

飛鳥の法興寺に続いて建築されたのが、大阪の天王寺にある四天王寺と言われています。

名前の通り、四天王像を祭る為に作られ、聖徳太子建立7大寺の1つに数えられています。

中心伽藍(ちゅうしんがらん)という配置方法が有名で、伽藍は「お堂」を意味し、南大門・中門・五重塔・金堂・講堂と直線上に並び、回廊で周りを囲む配置になっています。

現在では、鉄筋コンクリート造になっていますが、その当時の建築に近づける形で実現されています。

敷地と建築物のバランスは、どの時代も重要視されていたポイントかもしれません。

法隆寺

法隆寺の金堂と五重塔

出典:wikipedia

奈良県斑鳩(いかるが)にある、聖徳太子ゆかりの寺院。

7世紀に建築され、1993年にユネスコの世界遺産にも登録されました。

世界最古の木造建築として、いくつもの地震や火事などの災害に直面しましたが、現存しています。

五重塔は、高さが30mを越えていたり、積み上げ式の構造など、現代の木造建築では想定しづらい形で実現しています。

平面構造では、3間(約5.5m)の正方形で組まれており、上層に向かうにつれ、小さくなっていきます。

積み上げ式の構造(今でいう免震構造、古民家なども似たような工法)や、正方形に近い形など、先人の知恵が災害を乗り越えたといっても過言ではありません。

また、「心柱」と言われる「檜」で作られた一本の柱が、通し柱のように上層から下層まで通います。

心柱」は太さが直径約78cmもあり、普通の木造建築で使われている柱の6倍から8倍の太さになります。

飛鳥時代の建築の特徴

飛鳥時代の建築の特徴といえば、法隆寺などで採用されている「エンタシス」という柱や、「皿斗」「大斗」「雲斗」「雲肘木」といった組手が挙げられます。

金物や釘がない時代に考案された工法で、「皿斗」や「大斗」などは、当時の建築部品と言ったところです。

装飾材として「人字形蟇股」、「卍崩しの高欄」も使われています。

卍字崩し高欄と人字形割束(中門)

法隆寺の雲肘木

出典:wikipedia

エンタシス」は、古代建築で多く使われていた、下部から上部にかけてサイズを細くしていく形状の柱をいいます。

法隆寺の場合は「胴張り」と表現することが多く、エンタシスの柱を下から1/3の所を一番太くした形状のことをいいます。

伽藍自体も寺院建築の独特のものがあり、建物を単体ではなく、複数で構成されるのも特徴の1つとも言えそうです。

飛鳥時代の建築の特徴や代表的建築。法興寺・四天王寺・法隆寺など まとめ

飛鳥時代の建築について記事にしてみました。

仏教が伝来し、建築様式にも影響を与えています。

後の「奈良時代」へと続くのですが、海外の建築技術や様式を取り入れられたのも、この辺が始まりではないでしょうか。

次回も日本建築史について触れてみたいと思います。

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