アルヴァ・アールトは、建築家でもありながら日用品のデザインなども行い、幅広い活躍をされていました。
50フィンランドのマルッカ紙幣にもアールトの肖像が描かれており、フィンランドを代表する人物だったとも言えます。
アルヴァ・アールト、フィンランドが生んだ北欧を代表する建築家
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アルヴァ・アールトは、1898年にフィンランドのクオルタネに生まれ、幼少期をユヴァスキュラで過ごしています。
測量技師の父や祖父の影響を受け、建築の道を志します。
1916年からは、ヘルシンキ工科大学のアルマス・リンドグレンの元で建築を学び、1921年に卒業しています。
1923年には最初の設計事務所を開設し、多くの設計・デザインに携わりました。
フィンランドの建築家リストで、一番最初に名前がくるように、Alvar Aalto(Aから始まる名前)としたとされています。
27歳の時に、大学の同窓生で建築家兼デザイナーのアイノ・マルシオと結婚し、その後多くの仕事を共同で行うようになります。
バイミオのサナトリウムの建築を手掛けていた頃に、CIAM(近代建築国際会議)の終身会員に選ばれ、ヴァルター・グロピウス、ル・コルビュジェらと知りあい、近代建築の設計に生涯を捧げています。
アルヴァ・アールトが残した建築
バイミオのサナトリウム
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フィンランドのバイミオにあるサナトリウムも、アルヴァ・アールトがデザインを担当しています。
サナトリウムというのは、長期的な診療が必要とする患者のための診療所になります。
元々は、結核の診療所として始まり、結核治療の主流が大気安静療法が主流を占めていたため、高原や海岸など、空気が澄んでいる環境にサナトリウムは建てられています。
バイミオのサナトリウムは、現在は総合病院として運営されており、設計当初は、家具や照明も合わせて考えられています。
病院のモダニズム建築として注目を浴び、水平連続窓など光と共存を図った建築物になっています。
フィンランディアホール
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フィンランドのヘルシンキにあるフィンランディアホールも、アルヴァ・アールトが同国を代表する建築家として携わっています。
フィンランディアホールは、芸術施設という形で、ヘルシンキホール、テラスホール、エリッサホール、オーロラホールの主要ホールで構成でされており、オーケストラなどを中心に、フィンランドの芸術文化に欠かせない建築になっています。
構造的にも、音響効果を考慮している部分も多く、外観色も白くまとめられ、環境と芸術との調和が、内外ともに実現されています。
アカデミア書店
フィンランドのヘルシンキにある、国内最大と言われているアカデミア書店も、アルヴァ・アールトが設計を担当しています。
2階の一部には、アールの名前が入った「カフェ・アールト」があります。
元々は、アールトが別のカフェのデザインを担当していた時アイデアで、その時のデザインが利用され、1986年にカフェとしてオープンしています。
三層式の吹き抜け構造、本の形状に似せているといわれている天窓、白い代理石を基調とした内装からは、美しさと光の柔らかさが、居る者を落ち着かせます。
アルヴァ・アールトの自邸
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アルヴァ・アールトの家として、アールトの妻のアノイが設計した住宅兼スタジオになります。
後の建築デザインに影響を与え、雛型としても活用され、シンプルなモダニズム建築の中でも傑作品として評価されています。
この家だけでなく、家具や照明などもアールトデザインで統一され、美しさの中にこだわりも感じられます。
5分で読めるアルヴァ・アールト、フィンランドが生んだ北欧を代表する建築家 まとめ
近代建築の巨匠達の共通するところは、建築だけでなく、家具や照明など、建築に関わる部分も含めた総合的なデザインを目指しているところにあります。
アールトも同じように、各分野に精通しており、家具や照明の方にも多くの作品を残してきました。
また次の機会に、アールトのインテリアについて紹介したいと思います。